【書評】 異邦人

 

本を一読して完ぺきにこの本の意図するところを完全につかみきれなかったというのが正直のところ。

 

読解力が足りなかったため再読したい。

今回は書評ではなくただのネタバレ、要約、ほんの少しの感想です(ごめんチャイ)

 笑

 

『不条理に関して、不条理に抗して作られた古典的作品』とも言われるカミュの処女作。

 カミュ 異邦人

 

ちなみに・・・

『異邦人』とはユダヤ教の『聖書』(キリスト教の『旧約聖書』)においては、ユダヤ人以外の者を指し、キリスト教の『新約聖書』においても、特にユダヤ人以外を指すと思われる。(初期のキリスト教徒ユダヤ人が多く、ユダヤ教の一派であるとみなす方が適当であるため、また異邦人の信徒なる表現も新約には存在するため)

wikipedia参照)

 

 

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ムルソーは自らの経済力に限りがあったため、病床の母に看護師をあてがうことができずに養老院に母を預けていた。

この物語はそんなムルソーの母の死から話が始まる。

 

ムルソーは仕事の休みをもらい母の通夜へと向かう。

その中で司祭や門衛、生前母と親交の深かったペレという老人との会話が描かれる。

ムルソーは通夜の間、涙を流さず、母の顔を見るかと尋ねられても見ず、心を落ち着けるためかミルクコーヒーや煙草を口にし、通夜への移動で疲れた体を休める姿が描写される。

母との別れは金曜日であったため、あくる土日は休みであった。

彼は親しい女友達マリィと会い、海水浴や喜劇映画を見、夜は女と部屋で一晩を過ごした。

女の帰った日曜日は椅子に座りながら部屋から通りを眺め、世間が何も変わらない一日を繰り返していることを再確認する。

ムルソーにとっての母の死が何であろうと、世間の人々にとっては何ら影響のないものなのだ。

 

しばらくすると、ムルソーはレエモンという女衒を商いとする男と仲を深めるも、復讐したい女がいるから手伝うように頼まれる。

彼にとってそれはどうでもいいことで、ただレエモンを気に入っていたし、断る理由もなかったため、引き受けた。

女をおびき出すための手紙の代筆を頼まれたので書き、その後男は復習に成功する。

しかしレエモンが刑事罰に問われると、再びムルソーはレエモンの証人になるように頼まれ、それを引き受けた。男は保釈されることに成功する。

 

すると今度はレエモンは、復讐した女の兄に追われるようになる。

刃物を扱う兄集団に対して、レエモンはピストルを使おうとするも、それを察知したムルソーは撃つのはいけないと思い、自分がよいタイミングで撃つからと説得しピストルを預かる。

一触即発の事態は免れたもののレエモンは切り傷を負い一時帰宅する。

その後何の気なしにムルソーが一人で外を散歩していると、再び兄集団に出くわす。そこで襲われかけたため、偶然まだ持っていたピストルで5発を撃ちこみ、殺めてしまうのだ。。。

 

話は急転し、ムルソーは裁判にかけられる。

裁判では、5発も撃ち込む残虐性、ピストルを持っていた計画性、とともに、司祭や門衛、ペレら登場人物の証人尋問により母を前にして全く悲しみの感情を表さず、むしろ顔も見ず煙草にふける姿、通夜の翌日には女と出かけ、海水浴、喜劇映画と楽しんでいたことが明らかになり、検事によって誇張してとりざたされてしまう。

 

ムルソーには情状酌量の余地もないほど、善人としての心を一切持ち合わせていないことが延々述べられ窮地に立たされていく。

 

ムルソーは反論をしようとするも、弁護士によって、心証を悪くしないためにも黙っていた方がよいとなだめられてしまう。ムルソー自身も事実は事実と認めざるを得ず、言い返しが難しい部分もあった。

 

被告人で最重要人物で主役はこの自分ムルソーであるのに、

まるで自分の存在を無視するかのように裁判が進行し、どんどん自分が重罪人に仕立て上げられていく様が不思議でならなかった。

 

非常なまでにムルソーの行動が否定されていくので、

弁護士が検事に向かって『ムルソーは母の葬儀で涙を流さなかったために罪を背負うのか、それとも、男を銃殺したために刑に処されるのか!』と反論したが、検事から『残虐な心を持ったまま母を埋葬したことで弾劾されるべきなのだ』と一蹴されてしまう。

 

そうして死刑が言い渡される。

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一読した限り、ムルソー行動から、楽観主義と若干ドライな性格、そして自分の欲望にただ正直に生きる姿が読み取れた。

そうした行動のすべてが裏目に出て、次々に罪が重くされてしまうことに、もどかしさしか覚えなかった。

 

物語の最後の3,4ページで

一年を超える裁判の最中、感情も考えもほとんど露わにせず、半ばあきらめの境地にいたムルソーの訴え、心情、反論、思いがようやく吐露される。

ここにカミュの時代に対する思いが詰まっているのだろうが、ここを読み解くために当時の時代背景、カミュの生活史をもっと学びたいと思う。

 

この作品をどう読むかに当たって、あとがきに紹介されていたカミュの自序が非常にわかりやすかった。

つまるところ、母親の通夜で涙を流さなかった人間が死刑になる恐れがあるのは、芝居をしなければ社会の中で「異邦人」の扱いを受けることに他ならない、ということなのだと。

 

ムルソーが作中で、涙を流すに代表される演技をしなかったのは自分に決して嘘をつきなくなかったからだ。

でも私たちは、日々の生活を円滑にしようと、ほんの少しの偽りを自身もしくは周囲に対してしてしまう。

そうすることで、仲間とうまくいったり、物事がうまく運ぶからだ。

その代償として自分を何か真理(本心?)とは離れた存在にしてしまうのではないかと、本作を読んで怖くも感じた。

 

真理のために世界から処刑されることを選んだムルソーの信念に感動した。(人は殺したがもう関係ないよね)

 

んじゃ!笑