STAY HOME!
お題「#おうち時間」
こんばんは。
最終更新日からゆうに二週間程度たってしまいました。
病棟がいかに忙しくとも、ブログの更新をやめるべきではないのですが、
この宣言に反してさぼってしまいました。
完全にわたくしの失態です。。。
とまあ、聞きたくもなかった失態をさらしたうえで、
ネタがなかったものではてなブログのテーマにあった
Stay homeについてです!
私のステイホームはめっぽう筋トレ、読書、ドライブ(車外には出ない)です!
卒業の時に後輩から、ダンベルとインクラインベンチをプレゼントしてもらい、
自宅が半分ジムと化していますが、
おかげで充実の筋トレライフを過ごしています。
現在はステイホームの影響でジムも空いてないことが大半。
そのせいか、ダンベルの売れ行きがすごいようで、
先日通販を調べてみたところ今注文しても最短で7月中の発送なんだとか。。。
こうなることは全く予想していなかったわけですが、
昨年度の自分、ナイスッ!笑
読書に関しては
哲学モノと、日本の純文学をよく。
また新たな試みで次はジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』シリーズを購入いたしまして、何とか完遂してやろうかと。。笑
このユリシーズでは「意識の流れ」という技法が使われています。
この「意識の流れ」の技法が文学的に高く評価されているものなのですが、いったいどのような技法なのでしょうか。
何のことかというと、通常の?よく見る文章では
3人称の人物のコトバはカギかっこ『』や二重カギかっこ「『』」
を用いるなどして、表現することで分かりやすい文章になっています。
しかし、この技法においてはそうした3人称のコトバも、地の文章の中に組み込んで表現してしまうのです。
つまり、よくある小説の一人称の『私』の心理描写と同じように、
『三人称』の人物の心理、思っている心の内を文中に書き込んで表現するため、
ストーリーの中の時間軸が進むのに対して(外的時間)、心理描写は瞬時の出来事(内的時間)なのに、文章がやたらめったら長いこともあって、ストーリーを把握しにくいのです。
こうした物語性よりも、人物の心理描写にのみ焦点を当てたものとして「意識の流れ」は評価を受けているとのことなのです。
言葉足らずでうまく伝わらないので、
意識の流れ ←ggっちゃってくださいな!(あきらめ笑)
この技法は以前フォークナーの「サンクチュアリ」を読んだときに知ったものですが、このフォークナーが用いた「意識の流れ」
のルーツ、生みの親はジェイムズ・ジョイスだったことを知り気になっていました。
フォークナーもまた「意識の流れ」を用いた作者でしたが、まだ物語としてはわかりやすい印象でした。
(が、どうやら3人称の部分は斜体で翻訳されるなど、若干手が加えられていたのだとか、、、笑)
ユリシーズの読書感想を見てみると、
難解すぎてただの修行だとか、気の進まないレビューも多かったのですが
やはり若いうちに一度挑戦してみよということで。
といっても700ページ超の文庫本が4冊と大作も大作。
無事読み終えたら(読み終えなくても)その旨を伝えます笑
最後はドライブ。
やはり母国新潟に帰ったこともあり、うれしさ半面、出かけられないもどかしさも。
ドライブしてみると、いろんなところに外出している方を大勢見かけてしまいます。
こうしたときに本当の人間の内面が試されるのでしょうか。
ドライブといえ出かけている時点で私もよわよわですが。。
どうせ若いから感染しても死なないし➡日本人は若年死亡例多め?
マスクしていなくても自分が感染していなけられば関係ない➡不顕性でもウイルス輩出してるよね
高齢者の近くに行かなければいいんでしょ➡ウイルスは数時間はそこにいる。
ヒトの行動を変える一番の方法は何なのでしょうか~
正しい情報を伝える・強制力のある行動制限・人格教育・お金?笑・
分かりませんね。。。
皆さんいかがお過ごしでしょうか!?